「日本はアジアに感謝されている」は本当か
はじめに ―― このブログについて
都内のヘルスケアIT企業で働いている関西出身の20代です。
仕事では、クライアントである製薬会社のマーケティング課題を整理して解決策を提案し、プロジェクトとして実行まで担当しています。
いわゆる「答えのない問いに構造を与える」のが日常なので、物事をフレームワークや比較表で整理する癖が染み付いています。
学生時代にバックパッカーとして10カ国以上を回り、その流れでベトナム人の妻と出会いました。
旅と国際結婚を通じて気づいたのは、「日本人がアジアについて知らないこと」と「アジアの人が日本について感じていること」のあいだに、想像以上のギャップがあるということです。
このブログは、そのギャップを事実ベースで埋めていくために書いています。
趣味は近現代史・地政学・政治経済。
仕事で身についた「構造化して考える」癖を、歴史の読み方にそのまま持ち込んでいます。比較表やフレームワークが多いのはそのせいです。
特定の政党や思想を応援するものではありません。「歴史を直視しよう」という主張はしますが、それは右でも左でもなく、事実の問題だと思っています。
右からも左からも違和感を持たれる記事になるかもしれません。でも、それは現実そのものが単純な右左で割り切れないからだと思っています。
海外から見た日本について知りたい方、近代史が好きな方の好奇心を満たせれば幸いです。
妻と出会って、最初に衝撃を受けたこと
きっかけは、妻とまだ付き合いはじめの頃の、何気ない会話でした。
ベトナムの近代史を軽く調べていた僕は、ある事実にぶつかって手が止まりました。1945年、日本軍の占領下にあったベトナム北部で、大規模な飢饉が起きていたのです。
死者数は資料によって幅がありますが、後で触れるように数十万から200万人ともいわれます。
日本の食糧徴発や、米の作付けを別の作物に切り替えさせた政策が、凶作や輸送途絶と重なって被害を拡大させた――そう指摘されています。
正直、衝撃でした。僕は「日本とベトナムは仲がいい」というイメージしか持っていなかったからです。
そこで妻に聞いてみました。「日本がベトナムを占領して、たくさんの人が餓死した歴史、知ってる?」
「うん、知ってるよ。学校で習った」
あっさりとした返答でした。
ここで、僕の混乱はさらに深まりました。知っているのに、なぜ日本を嫌っていないのか。
ベトナムは世界でも有数の親日国です。
妻も、妻の家族も友人も、日本に対して肯定的な感情を持っています。
それでいて、数十万〜数百万人規模の餓死が起きた歴史も、ちゃんと知っている。僕にはこれが不思議でした。
次に思い浮かんだのが、日本でよく聞く「説明」でした。
「独立戦争のとき残留日本兵が助けたから、ベトナム人は親日なんだ」というものです。
試しに妻に聞いてみると、「え、初めて聞いた」と言う。妻の友人何人かにも後で確認しましたが、同様でした。
では、なぜ彼らは親日なのか。妻に素直に聞いてみると、こんな答えが返ってきました。
「小さい頃からドラえもんが好きだったから。あと東芝とかパナソニックとかホンダとか、日本の製品ってすごいじゃない。日本人って真面目で誠実でしょ、そこが好き」
拍子抜けするほどシンプルでした。でも、これが正直なところだと思います。
ここで僕の中に、問いが形をとってきました。
- 「歴史の被害を知った上で、それでも親日でいられる」とはどういう構造なのか?
- 日本でよく語られる「残留日本兵のおかげで親日」という話は、実際には現地でほとんど知られていない。では、あの言説はどこから来ているのか?
この二つの「なぜ」を、事実を起点に、自分の考えも混ぜながら紐解いていく。それがこのブログの出発点です。
そして第1回でまず検証したいのが、もっと大きな主語の言説――「日本はアジアに感謝されている」は本当か、という問いです。
「感謝されている」言説は、どこから来たのか
ネットでも書籍でも、こういう語り口をよく見かけます。「日本はアジアを欧米の植民地支配から解放した。だからアジア諸国は日本に感謝している」。
この言説の出どころを構造的に分けると、だいたい三つの層に整理できます。
| 層 | 内容 | 性質 |
|---|---|---|
| ① 史実の核 | 日本軍が一部地域で独立運動を支援・訓練した事例は実在する | 事実 |
| ② 拡大解釈 | 「だからアジア全体が日本に感謝」へと一般化される | 飛躍 |
| ③ 政治的増幅 | 国内の歴史観論争のなかで強調・再生産される | 言説 |
①の「核」は本当にあります。問題は、そこから②③へ広げる段階で、被害の側面がまるごと抜け落ちることです。コンサルの仕事でいう「都合のいいデータだけ拾う」状態に近い。
逆もまた然りで、「日本はアジアで悪事しかしていない」という語りも、同じく片側だけを切り取っています。
事実を国別に分けて見る
「解放した面」と「苦しめた面」は、同じ国のなかに同時に存在します。代表的な3国で並べてみます(数字は諸説あり)。
| 国 | 「独立支援」とされる面 | 占領下の被害・反発 |
|---|---|---|
| インドネシア | 郷土防衛義勇軍(PETA)の訓練、残留日本兵の独立戦争参加 | 労務動員(ロームシャ)による多数の犠牲 |
| ミャンマー(ビルマ) | 南機関がアウンサンら「三十人志士」を支援、独立義勇軍を組織 | 1945年、アウンサン自身が反転して抗日蜂起 |
| ベトナム | 「残留日本兵が独立戦争に協力」という言説(日本側では語られる) | 1945年の飢饉(数十万〜200万人、諸説あり)。飢饉はベトナムで広く知られているが、「残留日本兵のおかげで親日」という話は現地でほぼ知られていない |
ミャンマーは特に象徴的です。日本が独立を後押しした相手であるアウンサン将軍が、最終的には日本に銃を向けた。「支援したから感謝されている」という単純な図式では、この反転をまったく説明できません。
ベトナム飢饉の数字について
死者数は出典で大きく異なります。誠実に並べておきます。
- 日本軍の戦後調査:約 40万人
- ホー・チ・ミンの独立宣言(1945年):約 200万人
- 近年の日越の研究:約 100万〜180万人 との推計もある
幅は大きいものの、「相当な規模の餓死が起きた」こと自体は争われていません。「数がいくつか」と「起きたかどうか」は分けて論じる――これはこの連載で何度も出てくる原則です。
(参考:1945年ベトナム飢饉に関する各種記録、早乙女勝元『ベトナム"200万人"餓死の記録』ほか)
僕の視点 ―― 旅と国際結婚から見えたこと
バックパッカーとして各国を回って分かったのは、「アジアの対日感情」をひとことで語るのは無理だ、ということです。同じ国でも、戦争を知る世代と若い世代では温度がまるで違う。妻の家族でも、祖父母世代と妻本人とでは、日本の見え方がはっきり異なります。
そして、現地で感じる「親日」の正体は、戦時中の評価とはほぼ別物でした。妻の言葉を借りれば、「幼い頃から見ていたドラえもん」「東芝・パナソニック・ホンダへの憧れ」「日本人の勤勉さや誠実さへの尊敬」――これが親日感情の実体です。
70年以上前の占領期への評価が、いまの好感度をつくっているわけではない。 飢饉の歴史を知った上で、それでも親日でいる。それがベトナムの現実です。
言い換えると、「歴史的被害の認識」と「現在の対日感情」は、必ずしも比例しない。被害を知っているからといって反日になるわけではないし、「助けてもらった」という話があれば親日になる、という単純な因果でもない。
ここにコンサル的な補助線を一本引くと、見通しがよくなります。
評価軸を分ける:
「戦時中、何があったか(史実)」と「いまどう感じているか(現在の感情)」は、別の軸として扱う。両者を直結させるから、「感謝されている/恨まれている」という不毛な二択になる。
この補助線を引くだけで、「日本はアジアに感謝されている」も「アジアに憎まれている」も、どちらも現実の一部を誇張した言説だ、と落ち着いて見えてきます。
まとめ
第1回の整理をまとめます。
- 「日本はアジアに感謝されている」言説には 史実の核(①)はある が、全体への一般化(②)と政治的増幅(③)で大きく姿を変えている
- 「解放した面」と「苦しめた面」は 同じ国に同居 しており、二択では語れない
- いまの「親日」は、戦時中の評価とは別の理由(文化・製品・人物への尊敬)で成り立っていることが多い
- だから、史実と現在の感情は 軸を分けて 見るのが冷静
最後に、読者のあなたへの問いで終わります。
あなたが信じてきた「アジアの対日イメージ」は、いったい誰の、いつの、どの国の声に基づいているでしょうか?
もしその出どころがあいまいだとしたら、それは恥ずべきことではありません。僕自身、妻と出会うまで「ベトナム人が日本を好きな理由」について、ちゃんと考えたことがなかった。
知らなかったことに気づくところからしか、たぶん何も始まらないと思っています。
次回予告
第2回「東南アジア各国は日本軍をどう見ているか」
各国を旅したときの現地の人の反応を入り口に、国別の対日感情を表で整理します。占領期の「被害」と戦後の「関係」を分けて見ると、ひとくくりの「アジア」がいかに乱暴な主語かが見えてきます。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。